続編『鉄道開業150周年の歴史を感じて』

続編『鉄道開業150周年の歴史を感じて』

 前回9月20日付けブログにおいて「鉄道開業150周年の歴史を感じて」と題して掲載した。そのブログでは、新橋~横浜間の全線が開業した時の終着駅、現在の桜木町駅と周辺を散策し、歴史風景を取り上げた。その中で最後に、是非、今度は新橋駅で当時の歴史を感じたいものであると述べていたので、10月9日に新橋駅(旧新橋停車場)を訪ねてみた。

 明治初期、日本最初の鉄道ターミナルとして誕生した「新橋停車場」。当時の人々は停車場を新しい文化の象徴として興味津々に見つめたことであろう。今回は、日本の近代化を力強く支えた旧新橋停車場(のちの汐留貨物駅)の歴史と、現在の姿をご紹介することにする。

 日本で初めて鉄道が開業したのは、明治維新から間もない1872年。区間は新橋~横浜間で、東京側の始発駅が「新橋停車場」である。といっても現在の新橋駅とは位置が異なり、いまで言うとJR新橋駅から汐留方面に5分ほど歩いた高層ビル群に囲まれたところにある。ここから出発した汽車は、行き先である横浜へ向かう。横浜には国際港があり、当時は海外へ渡る手段は船しかなかった時代、人々は新橋から汽車に乗り、横浜港から外国へと旅立っていったのだろう。また海外からもさまざまな品とともに西洋文化がもたらされ、横浜から東京へと広がっていったと想うと現代よりも国際色豊かな雰囲気があったと感じた。

 新橋~横浜間の所要時間は53分。運賃は上・中・下等に分かれ、下等でも37銭5厘(現在換算で5,000円程度)。庶民にとってはかなり高額である。ただし、身分制度が明確だった江戸時代とは違い、鉄道はお金を払えば誰でも乗ることができた。その点も文明開化の1つだったと言える。明治天皇や大隈重信といった要人のほか、文豪らも新橋停車場を利用したという記録が残されている。夏目漱石は友人の見送りや出迎えのために停車場を訪れたとも聞く。

 開業当時の駅舎は関東大震災による焼失や改築によって正確な位置が不明であったが、平成の汐留再開発にともなう発掘調査で駅舎やホーム等の遺構が発掘された。現在、かつて駅舎があった位置には、鉄道建設のための測量の起点となった「0哩(マイル)標識」があり、当時の外観を忠実に再現した「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」が建てられ、無料で遺構や出土品、鉄道に関する企画展を楽しめる施設となっている。

 小生も企画展をじっくりと観覧し、当時の駅舎の歴史解説動画を視聴して鉄道発祥の地となった駅舎周辺から新時代に向けた伊吹を感じることができた。いまやJR、地下鉄、ゆりかもめ等さまざまな路線が乗り入れ、街はビジネスの大拠点に発展している。これからさらに、街がどう発展し変化していくか、興味深く見守りたい。

以上

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